積み重ねてきたら想いがあったからこその気づき。
懐かしい。8年前の写真。
この頃は、何を思い描いてたのか。
あっと言う間に8年前経って
何を積み重ねれたかな?と思う。
今日は、厚労省の方々が久留米に来て
明日行われるコンソーシアムの前夜祭。
厚労省事業内のプロジェクトを
推進し、結果を出す。
生まれたばかりの赤ちゃんから
亡くなる直前の方まで、
みんなが何かしらの担い手であること。
今までサポート受ける側として
社会の少数派として認識されてきた人達をも
担い手であること。
その担い手の人達が
安心できる、活躍できる、誰かのお役に立てる、
そんな「プラットフォーム」をつくることが
今期事業のミッションだと受け止めている。
「プラットフォーム」という言葉も
受け取る人によって違いがある。
きっと、ここに関わる人達だけでも
十人十色だろう。
その十人十色な物事において、
「事業の一環」という取り組みだということが、思考を乱し、反比例させてしまうカタチをも生み出すこともあると思う。
今、当事業内で8つのプロジェクトが始動している。
成果や結果に捉われすぎると
本当に見つけ出したいプラットフォームなんてつくれる訳ないんだ。
でも、結果や成果を出さないと
事業としては進められない。
そんな違和感をどこかしらで抱いてた。
でも、厚労省の方と話してみて、
前回までのプロジェクトと今を比較して
違和感を抱えてる事はいいと思うのですが、
今のプロジェクトだけをみて、
事業内で動かしてるから
やりたい事が出来てないという違和感なのであれば、それは好きな事だけをしてほしいと。
どっちなんだろう?と考えてたけど
思考が止まる。
そして、見つかった答えが。
どんなプロジェクトであっても
どんな事業が関わっていようとも
どんなしがらみや世間体があったとしても
このプロジェクトの先の映像を
どう描いているのか。
そこにどんな志があり、
誰が笑っているのか。
そこを描ききれてない
ただ単純な私の中にある違和感だったと気付きました。
コンセプトが違うそれぞれのプロジェクトを
ただ順序よく効率よく動かせたらいいのか?
ってそれは違う。
誰かが望んでることを察知して
その方向へと応えていくのも違う。
どんな人が
どんな時に
どんな想いを抱えて
プラットフォームが存在することで
自らが何の担い手になってくのかを
自らが見つけつくっていける。
8年前から
わたしが揺るがなかったことがひとつ。
私が生まれてきた使命は
女性を美しくすること。
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